きょうの一歩 【難病を抱える息子きょうちゃんとの日常】

難病を抱えて生まれてきた息子、きょうちゃんとのちょっと変わった家族の日常とこれまでの歩み

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【お誕生日おめでとう!】きょうちゃんが生まれてからの2年間を振り返る

 

きょうちゃんが2歳になりました。

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あの日からもう2年経ったのかと思うと不思議です。(多分来年はあの日からもう3年…とか言っているはず)

生まれてから入院していた約半年間が一番時間の流れがゆっくりで、それからは入院こそあれど、あっという間だったような気がする。

今回は折角なので2年間を振り返って印象に残っている話をいくつかピックアップして綴っていきたいと思います。 後半はきょうちゃんの成長記録を。

ブログやSNSを始めたのはきょうちゃんが1歳を迎えようかという時期だったし、まだまだ書いておきたいのに書けていないことはたくさんあるのだ。

忘れないうちに残しておかないと…と言いつつ既に朧げなところも…うぐぐ。

 

 

きょうちゃんは運がいい?話

きょうちゃんは大病を患って生まれてきたけれど、とても運がいいと感じることがある。

きょうちゃんの病気が発覚したのは、出産予定日の4日前だった。

気づいてくれたのは、その日たまたまオペが入って外来に出て来られなくなったいつもの先生のかわりの先生。

いつもの先生に診てもらっていたら見つけてもらえないまま個人産院で出産して、生まれてからの処置が遅れてしまっていたかもしれない。

運がいいならもっと早くわかっているのではとか、そもそも病気はなかったんじゃないかとか、そういうつっこみはなしだぞ。

ギリギリ滑り込みセーフ!で、病気の可能性を指摘されてから1週間後にきょうちゃんが誕生したのだ。

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きょうちゃんは左心室が7割程度はあり(これだけあっても全身に血液を送る役割を担うのは無理らしいが)、途中まで二心室修復の可能性も残っていた。

心室、というのは左心室と右心室それぞれを残す形、一心室(単心室)は左心室と右心室の間の壁を無くし(穴を開け)て一つにするようなイメージ。単心室の方が手術回数も多くなるし、後々の合併症も多いという説明を受けた。

一回目の手術を無事に終え、二回目の手術。

この二回目の手術は二心室にするのか一心室にするのか、どちらにするのかによって内容が変わるため、どちらのルートに進むのかを慎重に判断する必要があった。命に関わるルート分岐って…

そして、医師が選んだのは「二心室修復」のルートだった。

 

それから、手術を数日後に控えたある日、きょうちゃんのストーマから出血があった。 原因は今もよくわかっていない。そのせいで手術は2週間後に延期になった。

手術の時には血液をさらさらにする薬を使うから、出血個所や傷があるとそこから出血して何らかの合併症を引き起こすリスクがあるんだって。

しかし、結果的にこれが功を奏すことになる。

 

手術を待っている期間に、「二心室修復は難しい」という事実が見つかったのだ。

なんでも心臓の血管を流れる血液の流量と速さ(この辺あやふや)が二心室修復できるような状態ではなかったらしく、あのまま2回目の手術をしてしまっていたら、一心室のルートへ入るためにまた手術が必要になってしまっていた…というような話を聞かされた。おいおいおいおい

 

きょうちゃん(今のままで二心室修復は無理だ…なんとか手術までの期間を引き延ばさないと…でも赤子の僕にはそれを伝えるすべはない。くっ、何かいい手はないのか…)

きょうちゃん(…!そうだ!どこかから出血があれば手術は出来なくなる!どこだ、どこなら血が出せる…?リスクが少なく、血を出せるところ…)

きょうちゃん(ストーマストーマからならもしかして!)

きょうちゃん(うおおおおおおお出血しろおおおおおおお)

私「あれっ、ストーマから血が出てる…?」

 

という妄想が膨らんだ。

きょうちゃん妙に達観してるところがあるというか受容しやすいというか、SNS上で人生何巡目かしているのではと言われたこともあるし、あながち妄想でも無かったり…?

なんてね。

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ストーマから血を出した日のきょうちゃん。よくやったぞ!にしても顔色が悪い…

そして二回目の手術は、「”二心室修復の可能性を残した”ノーウッド手術(ほぼ一心室ルートということ。ややこしいね…)」に決まった。医師曰く「状態の悪い二心室よりも、状態の良い一心室を選びました。」とのこと。

手術前日の日記帳には「今日の帰り道は、きょうちゃんが生まれた日より大きな雷が何度も光っていた。きっときょうちゃんは〝もっている”。」と書かれていた。そうだといいなあ。姓名判断で吉と大吉しかない名前にした甲斐があった…のかな?

あと、まだ運がいいなと感じたエピソードはあったはずなのに思い出せない…そもそもたくさんの病気を抱えながらもここまでこれたことが幸運なんだろうけどね。

そしてなんとなくひきがいい気がするからいつか宝くじを当ててくれそうだなと思っている。

…「病児の親、いつか宝くじが当たると思いがち」という説を推したい。今度ツイートしてみようかな、バズるぞ笑

 

そしてこの2回目の手術こそが、彼の命を一番脅かしたものになった。

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一番命の危機を感じたときの話

これまでにいくつもの手術を受けてきたきょうちゃん。

詳しくは家族紹介の記事を見てね

www.kayarimo.com

手術の内容に関わらず、「手術」と言われるものを受けた時のことはよく覚えているけど、一番鮮明に覚えている手術は、一番きょうちゃんが「死」に近づいた手術。

上記に出てきたノーウッド手術を受けたときだ。

 

ノーウッド手術は比較的最近確立されたもので、左心低形成症候群で生まれた子の多くが受ける必要のある手術だが、非常に難易度の高い手術だ。死亡など重篤な合併症を引き起こすリスクは10%だと説明された。

しかし執刀医曰く、「この数字は我々のチームだから言えることで、他のところだともっと高いです」とのこと。私失敗しないので、という雰囲気がすごいとにかくうまくいく気しかしない信頼できる医師なのだ。

きょうちゃんが生きていくためには避けては通れない手術であり、今後受けるであろう手術の中で1番難しい手術になるであろうその手術の日を迎えた日の朝、久しぶりにきょうちゃんを抱っこすることができた。

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生まれた日以来、生後2ヶ月を前にして二度目の抱っこ。

喜ぶべきことなのに、その裏には「これが最後になるかもしれないからね」という真意があることも知っていたから、複雑な思いを抱えながらの抱っこ。それでも久しぶりに腕に感じる重みと温かさがとても愛おしく、とても幸せだった。きょうちゃんはというと、これからのことは知る由もなく、きょとんとした顔で大人しく抱かれていたのであった。

 

きょうちゃんを手術室まで見送った後、家族控室で夫と二人過ごした。窓一つない個室の控室。ただでさえ辛い精神状態なのにあの時間感覚がなくなるような部屋はちょっと辛かったぞ。テレビがあったのが唯一の救い。

話は逸れるけど〇時くらいには終了する予定です、と言われていた時間が近づくとそわそわしてしまって何も手につかなくなるのすごい困る…何かあったのかなとか良からぬことを考えてしまって手が冷たくなっていく感じ。私が寝ていようが本を読んでいようが祈っていようが、何をしていたって手術の結果が変わるわけではないとわかっているのに、予定時間が迫ると「祈る」以外のコマンドを選ぶことができなくなるのよね…そして時間の経過の感じ方が遅くなって自分を追い込んでいくのよね…

 

9時半から始まって、呼ばれたのは予定時間を少し過ぎた20時だった。

おびただしい数の点滴とベッド脇に置かれた人工心肺の装置(初めて見た)に圧倒されながらも、きょうちゃんに近寄り顔を覗き込む。

術後のきょうちゃんの顔は蒼白だった。とても白かった。

おでこを撫でていいですかと看護師に聞いたら困った顔をされた。ですよね、すみません。がんばったね、と声をかけるだけにした。執刀医から予定通り終わったこと、何かあったときのために胸はまだ閉じていないことなどの説明がなされ、術後の面会は10分で終了。

胸を閉じる前にちらりと見せてもらったことがあるけど、切開した胸の奥にどくんどくんと波打つ心臓が見えてどきりとした。表面には薄くて白っぽい膜のようなガーゼのような何かがかけられていて心臓剥き出し!という感じではなかったけどね。

術後24時間を過ぎるまでは安心できないけれど、まずは無事に終わってよかったねと、夫と二人岐路についた。

心のどこかに手術が無事に終わったんだからこの後も何もないだろうという思い込みがあった。

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帰りの車の中で夫の携帯電話が鳴った。病院からだ。

夫は運転していたので私が出た。

『きょうちゃんの血圧が下がってきたので戻ってきてください。』

私から伝えられた夫は努めて冷静に進路を病院へとかえて運転を続けていたが、なんとか冷静さを保とうとしている感じは伝わってきた。

私はというと最悪のシナリオが頭に張り付いて思考停止に陥りかけていたので、もし運転なんてしていたら北海道の冬道で間違いなく事故っていた。まあそもそも免許は持っていないんだけど。 

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病院に着くと家族控室で待つようにとだけ言われ、また夫と二人。

説明は無かったが、術後に血圧が下がり親に来るように連絡をしなければならないということは、もしものことが想定されているということは容易に想像ができた。きょうちゃんが死んでしまうかもしれないということを強く意識しながらの待ち時間は、これまでの中で一番苦しい待ち時間だったと断言できる。この時ばかりは何も出来ず、呼ばれるまでただただ手を握って座っていることしかできなかった。夫がテレビをつけてくれたけど、見る気にはなれなかった。

…と言いつつも、そのときやっていたテレビの画面は色濃く記憶に残っているけどね。「相棒」の神社かお寺に遺体が埋められていた、みたいな話だったな。

 

それから約一時間半後、執刀医が部屋にやってきた。

「ご心配をお掛け致しました。処置は無事に終わりました。ここでもう少しお待ちください。」 

普段表情を変えることがない人なのだが、このときは少し笑みを浮かべて柔らかい表情をしていた。彼なりの気遣いだったのかもしれない。

そう言って執刀医が部屋を去った後、私は顔を覆って泣き崩れた。泣き崩れるという経験は初めてだったかもしれない。泣き喚く、泣きじゃくる、泣き暮らす辺りは経験済みだ。ちゃんといなくなるまで我慢できた私、すごいぞ。いや、別に泣かないのが偉いわけじゃないけどさ。

 

それから少しして呼ばれ、きょうちゃんの顔を見ることが出来た。先程とは違い、ほんのりと肌に色が戻っていた。

執刀医曰く、心臓のむくみが思っていたより強く、それに対して胸の開き方が小さかったために心臓が圧迫されて血圧が下がってしまっていたとのこと。心臓マッサージと胸をもう少し広く開ける処置をしてどうにか落ち着いたらしい。心臓むき出し状態で直接するマッサージってどんなのだろうね…?

兎にも角にも落ち着いたとのことで、帰宅を許された。

そしてそれから次の日まで病院から電話がかかってくることはなく、一つの山を越えることができたのであった。

こういう電話の経験がある人は電話恐怖症になりませんか…夫がしばらく電話恐怖症になって夫の電話を私が手元に置いたり、夫に電話をかけることを控えたりしていました。

これがきょうちゃんが一番「死」というものに近づいた日の話。

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ノーウッド手術数日後のきょうちゃん。まだ眠ったままの頃。時間はかかったけ少しずつ回復していった。

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きょうちゃんの成長記録

寝返り:9か月

お座り:10か月

ずりばい:1歳1か月

はいはい:1歳4か月

かまり立ち:1歳3ヶ月

1人で立つ:1歳8ヶ月

1人で歩く:1歳10ヶ月

走る:まだ

中でもずりばいをし始めたエピソードが印象的というか独特というか…なかなかないだろうなと思うもので。

ずりばいを始めたきっかけは

きょうちゃんは1歳を過ぎても移動手段を持たなかった。

ずりばいどころかはいはいも出来なかったし、座らせれば座れはしたけどその場所からは動けなかった。うつ伏せが嫌いでうつ伏せの体勢になろうとしないんだからずりばいができるようにならないのも仕方がない。

ただ、1歳を過ぎて予定されていた鎖肛の2回目の手術はお尻の本来あるべきところに肛門をつくるというものだったので、1、2週間はうつぶせ拘束が必要だと言われていた。うつ伏せ拘束に備えて毎日うつ伏せの体勢で遊ばせたりするもののなかなか慣れず、結局うつ伏せ嫌いを払拭出来ないまま入院となってしまった。

そして無事手術を終え、うつ伏せ拘束スタート。

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両足同士を包帯でぐるぐる巻きにした上で、動かさないように上から重しを乗せ、上半身には寝返りを打てないように拘束チョッキを着用。看護師達は足の拘束のことを「マーメイド」と呼んでいた。マーメイドなんて可愛いもんじゃないけど、まあ、確かにわからなくもない…

そんな拘束をされて、恐らくきょうちゃんにとっては辛い入院ベスト3位以内には入るであろう、それはそれはしんどい日々を過ごした。きょうちゃんはなんとか抜け出そうと比較的自由な両手も使いながら時折もがき、たくさん泣いた。入院中でも8時台には穏やかに眠りにつくきょうちゃんが、うつ伏せの苦しみと術後の気持ち悪さからか泣いて眠れず、睡眠薬の力を借りないと眠れなかった。

あまりに泣いてしまうと心臓にも悪いし眠れないときには薬をお願いしていたんだけど、お願いしてから薬の投与までがすごく長く感じる…10分15分とかなんだけどさ。毎度医師の許可が必要になるかららしいんだけど、待っている間きょうちゃんはずっと泣いているから焦ってイライラしてしまっていたなあ…

そんな辛いうつ伏せ拘束は術後の傷の経過が良かったこともあり、予想よりも早い6日間で終了した。

マーメイドになっていた足はうつ伏せ拘束解除の前に一足早く元の人間へと戻っていたが、合わさっていた膝の内側はもがいて擦れてしまったことで痣が出来てしまっていた。

 

そして術後20日目、術後初めてプレイルームで遊ぶことを許されたきょうちゃんは突如ずりばいを始めたのだ。ずりばいができるようになったのだ!

えっ、入院期間中って後退するんじゃないの…?ずりばいできるようになっちゃったよ…?これには私も夫もびっくり!

この入院はきょうちゃんにとってある意味「超スパルタうつ伏せ合宿トレーニン」になったみたい…毎日抜け出そうと必死に踏ん張ってたもんね…すごいや…皆さんは決して真似しないでください…

こうして1歳1か月にしてずりばいが出来るようになり、はいはい、つかまり立ちへと繋がっていって今に至る。

うつ伏せ拘束が無かったらもっとずりばいができるのはゆっくりだったのかな、歩けるのももっと先だったのかな…と考えることがあるけど、拘束なんてしないに越したことないし、そもそも手術が必要な身体じゃなかったらとっくのとうにできるようになっているんだろう。うつ伏せ拘束がきっかけでずりばいが出来るようになったお子さんをお持ちの方、いらっしゃいましたらご連絡お待ちしております!←

 

きょうちゃんの今あれこれ

◆電車がすきで、とにかく「えんや!」と電車のDVDを見せて欲しいとアピールしてくる。プラレールも大好き。電車の中でのお気に入りは「山手線」と「湘南新宿ライン」!別に電車を好きにさせようとしたわけではないんだけどね。きょうちゃんが好きで夢中になれるものが見つかってとても嬉しい。

 

◆1歳から2歳の間に食べられるようになったものは、ない。麦茶が大好きになったことかしら…

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1歳のお誕生日の写真。

食べることはできないけど、1歳のお祝いにケーキを作った。きょうちゃんはクリームを手で触って嫌な顔をしていた。その手のまま顔を触ったので、食べてないのに食いしん坊が口の周りにクリームをつけているみたいでなんだか嬉しかった。

2歳のお誕生日にはケーキを食べられたらいいねと話していたけど、今年も手で触るだけになりそうだなあ。3歳のお誕生日こそ…!「食べる」まで求めないからクリームをなめて美味しいね、くらいは…どうか…!

 

◆正しい発音で話すことが出来るのは「まま」と「ぱぱ」のみ。あとは「んふふ(麦茶)」「んふふ(おそと)」「んふんふ(ブランコ)」「えんや(電車)」「んわ(うん)」「にょごにょごにょごい(おしまい)」「あっうーわ(だっこして)」などなど。にょごにょごにょごい…始め何言ってるのかさっぱりだったけど、おしまいということらしい。どうしてこうなった…でもこれでもすごいと思ってる!

そして理解している言葉がとても多いので、指示は通るしなんとなく意思疎通ができ始めてきたかなというところ。うまく発音ができないのかきょうちゃん独自の聞こえ方をしているのかはまだわからないけど、これからに期待!

 

◆きょうちゃんは多分大人しい子だと思う。すごく素直というか従順というか。

最近トイレトレーニングの一歩としておむつをトイレで替えるようにしたんだけど、トイレに誘うと基本的に大人しくやってくる。助かる。が、いくらおむつがもっちりしていてもうんちをしていても、自らおむつを替えて欲しいとはアピールしないので困りもの。不快感はないのかい?そして毎日の浣腸もあまり嫌がるそぶりはない。

あと、児童館のようなところで遊ばせている中で遊んでいるおもちゃを取られたり、遊びたいおもちゃで誰かが遊んでいたりしていても、何もしない。何もできないだけかもしれないけど、きょうちゃんが喋れたら「まあいっか」と聞こえてきそうな反応。一緒に遊ばせて、とばかりに隣に同年代の子がやってくるとたじたじになってお友達観察モードに切り替わる。あまり同年代の子と関わる機会が多くないから関わり方がわからないのかもしれないね。まあそもそもまだ他者を意識する年齢ではないけれど。療育も来年度から通い始める予定だから、お友達との遊び方も学べるといいなあ。

 

◆知的好奇心をくすぐられる対象は少し幼いのか?例えば通っている幼児教室でやった、三角形や四角形のカードを動かして色々な形を作ってみようという遊び。お友達は自分なりにカードを組み合わせて並べておうちに見えるね、なんて遊んでいたけれど、きょうちゃんは一切興味なし!という感じで一人伝い歩きを楽しむのだ…高いんだぞお月謝…(療育に通うので来月には辞めるけどね!)

周りの子が立派なのか普通なのかわからないけど、興味がないものや食べ物に関する遊びが始まると一人だけ椅子に座っていられずに自分の好きなことをしたがるし、まだ自由に歩き回るというまでには至っていないし、そのコミュニティの中だけで見れば発達の遅れや幼さが目立つ。これがただの個性なのか、ただ発達年齢が幼いのか、何かしらの障害があるのかはわからないけどね。

でもまだまだ2歳。差があって当然だし 周りと比べてどうこう思う必要はない。きょうちゃんなりの成長を見つけてたくさん褒めてあげるんだ…といつも自分に言い聞かせている。

 

終わりに

2歳のお祝いに箱根旅行に行った話も一緒に書こうかなと思ったけど、長くなりすぎてしまいそうだった(既にだいぶ長いけど)のでここでは割愛。別記事に。

 

2歳にはフォンタン手術、療育スタート、就園先の確保とイベント(?)が目白押し。

ハンデがある息子と過ごしていると成長が嬉しい反面、少し怖いなと感じることもある。こうやってどこのコミュニティにも属さずに、夫と私ときょうちゃんの3人の小さな社会で過ごすことができるのは残り僅かなのだ。いずれは幼稚園なり保育園なり、障害者が通う事業所なり、きょうちゃんは今よりも広い社会へと飛び出していかなければならない。そうなると体力のことや難聴のこと、見た目のことで壁を感じてしまうことがあるんじゃないかと気がかりだ。きょうちゃんも、私も。

既に医療的ケア児という存在は幼稚園や保育園での受け入れが厳しいという現状を目の当たりにして壁を感じているところ…2歳の2020年。どんな一年になるのかな。

「きっときょうちゃんは"もっている"」という昔の自分の言葉を信じて、全てがうまくいくように願うばかり。

 

たくさんの人の支えのおかげできょうちゃんは2歳になることができた。

医師や看護師など直接関わりのある方から、献血で血を分けてくださった見知らぬ方まで。感謝をしてもしきれない。実はこれまで献血が怖くてしようと思ったことはなかったんだけどきょうちゃんが色々な人にお世話になってしまったので、私も恩返しをしないといけないなと思っている。宣言でもしないと怖がって行かなそうなので、ここで宣言しておこう。きょうちゃんが2歳の間に献血に行きます!言っちゃった~~

さて、ここまで読んでくださった皆様ありがとうございました!2歳になったきょうちゃんをこれからもよろしくお願い致します!

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